ターゲット広告が転換期に
- 4月26日、米国アップルはiOS14.5の配信を開始した。同バージョンのiOSは近年問題視されていたターゲット広告のプライバシー侵害問題への対応としてクローズアップされた。具体的にはiOS14.5以降、iPhoneでアプリを立ち上げたときに利用者はデジタル広告市場に自分の個人情報を流すかどうかを事前に選ぶことができるようになる。これまではアプリの利用情報はユーザーに何の同意もなく広告市場に流されていたのが、これで事前にユーザーが選択できるようになったのだ。当然ながら自ら進んで自分の情報をネット広告に渡す人は少ないと思われるので、アップルのこの措置により(意味がわからず承諾してしまう人も合わせて)承諾する人はおそらく3割を切ると思われる。
- そもそも、なぜターゲット広告はプライバシーの侵害だと言われているのだろうか?以前であれば、例えばスマホでダイエットについて調べた女性がいたとして、その女性が別のアプリを開いたときにダイエットに有効なサプリメントの広告を入れるというようなことが可能だった。本人の何の了承もなく使用データを抜かれ、どのような人かが筒抜けになった状態でターゲット広告は送信される。なぜ最近調べていたことが別のサイトやアプリで広告として出てくるのだろうか?という不安を持った人は多いだろう。このような事情が背景にあるのだ。
- ではなぜプライバシーを侵害されたような気がして嫌悪感を抱くのだろうか?これまでターゲティング広告を主力にマーケット規模を伸ばしてきた広告業界は、いま「不気味の谷」に差し掛かっているのではないだろうか。
不気味の谷
- 不気味の谷とは、ロボット工学者の森政弘氏が1970年に提唱した概念であり、ロボットの姿形や所作などが人間に近づくにつれて人間側は好感を抱くようになるが、ある段階を超えて人間に近づくと却って人間との微妙な違いに目がいってしまい、急激に嫌悪感が高まるというものである。この図がその話を示している。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/不気味の谷現象#/media/ファイル:Wpdms_fh_uncanny_valley.jpgより)
- この話はあくまで仮説の領域を出ていないものの、人間らしさを人間以外のものでどう表現するかという問題に直結しているため、美術、芸術、心理学やロボット工学など様々な分野で用いられている。CGを用いた映画などで人間の描写がかなりリアルにはなってきたものの、近いがためにかえってその表情や笑い方が不自然で気持ち悪い、という評価をされた映画もある。これなどはまさに「不気味の谷」に陥ってしまった例だろう。
- 物理学では物体同士が遠ざかるような方向に働く力のことを斥力という。イメージとしては磁石の同じ極同士を近づけたときに感じるあの反発力である。磁石の反発する力は、極同士を近づければ近づけるほど強くなる。この反発する力はクーロンの法則により、磁極と磁極との間の距離の2乗に反比例する。つまり近づくほどその力がどんどん増すのだ。物理学の世界で働くこのような斥力が人間の心理にも働くのだろうか。
- 近すぎるとかえって反発を感じるという話は、以前「差別化とは何なのか」でも少し触れている。人間と人間の間に差別する意識がより強く働くのは、全く異なる別の人種間よりもより似通った外観や特徴を持つもの同士の方なのである。「社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉」(小坂井敏晶, 筑摩書房,2013)によると、差別の問題は異質性にあるのではなく,むしろ同質性にあるという。
- 境界が曖昧になればなるほど、境界を保つために差異化のベクトルが、より強く作用する様子がわかります。人種差別は異質性の問題ではない。その反対に同質性の問題です。差異という与件を原因とするのではなく、同質の場に力ずくで差異を捏造する運動のことです。(「社会心理学講義」kindle版位置2762)
- 不気味の谷という現象が仮に存在するなら、それは人間からみてまさにこの「同質性」が問題になっているのだろう。似れば似るほど同質性は増し、人間との境界線が曖昧になる。ところが機械を人間と認めるわけにはいかない。そのような考え方は現在の人類には備わっていない。そこで「異質性」を探し、嫌悪感を抱くようになるのではないか。ターゲット広告が嫌悪感を抱かれるのも、知らない間に自分の内面に近づいて来られ、自分と他者との境界線が曖昧になる恐れから来ているのかもしれない。
- ここで、不気味の谷についてもう一点言及する必要がある。それは、「不気味の谷を越えると再び好感度が元の水準まで戻り、近づくほどに好感度も上がる」ということだ。
- ではこの先AIなどの技術がさらに発展し、人間らしい動作をするロボットが開発され、見た目も皮膚の感触も見事に再現できたとする。そのような時果たしてやって来るのだろうか?
シンギュラリティの向こうに
- 目下著しい勢いで進化を遂げている人工知能だが、今できることと言えば遥かに人間には及ばない。画像認識や音声認識などが得意とはいえ、その程度であれば人間の0歳児〜1歳児でも可能だ。まだまだ途上なのである。とはいえ、日進月歩で進む技術によりいつか人間の知能を超え、人間が想像できないほどの高い知性が生まれる可能性がある。そのようなターニング・ポイントは技術的特異点と呼ばれ、人工知能の世界的権威と呼ばれるレイ・カーツワイルによりシンギュラリティと名付けられた。同氏によるとシンギュラリティがやってくるのは技術の革新スピードなどを考慮に入れておおよそ2045年頃とされている。
- シンギュラリティが到来すると、人間よりもAIの知性が総合的に勝ることになり、人間に近づくどころか超えてしまう。不気味の谷は超えられそうである。そうなったとき、私たちは本物のように動くロボットのペットを飼い、人型ロボットと恋愛し、ロボットが作った料理を介護ロボットに食べさせてもらっているのだろうか?