物語が持つ力〜コロナワクチン陰謀論・錬金術
- 読売新聞オンラインは5月16日、「ワクチンで「黒幕が人類管理」「人口削減が狙い」...はびこる陰謀論、収束の妨げにも」と報じた。同報道内容によると、SNS上でも新型コロナの感染拡大はウソであるとか、世界の黒幕が人類をワクチンにより管理することが目的だ、などという言説が拡がっているという。また、コロナはただの風邪であり、ワクチンで人間にマイクロチップを埋め込むのが目的だ、という言説を繰り広げる人もいる。長引くコロナ疲れのせいか、このような荒唐無稽に思える言説であってもtwitterなどで拡散し、本気で信じているような人もいるらしい。
- こういう説は一般的に陰謀論と言われる。陰謀論とは、ある出来事や状況の背景やその生じた要因などについて、何らかのファクトに基づく説明などが既にある場合であっても邪悪かつ強力な集団または人物が裏で状況をコントロールしているとする説である。根拠が仮に薄弱であったとしても、物語として人を信じ込ませる何かがあるのだろう。また、社会的不満が高まり、人々の間に不安や動揺が広がるとこのような説が信じられることになるのではないだろうか。物語は人を信じ込ませる力があり、一度このような説を信じてしまうとなかなか抜け出すことは難しい。物語は伝播し、時には大勢の人を動かす原動力にさえなるのだ。
- 物語が持つ力は何も現代に縛られず、過去においても多大な力を持っていた。古代エジプトから近世に至るまで、人類は金の生成を目指してさまざまな金属や液体を用いて繰り返し実験を行ってきた。試行錯誤の過程で生み出されたものも多く、硝酸、塩酸、火薬の発明など化学の発展に実質的に多大な寄与をしてきたのも事実だ。これらの一連の所業は「錬金術」という言葉で括ることができるだろう。卑金属から特に金のような貴金属を化学的プロセスから生み出せるという物語は、化学という一つの大きな人類の叡智として結実した。卑金属から金を作り出そうというのは現代からするととんでもない発想ではあるのだが、物語が人間を動かす例として挙げられるだろう。
物語とは何か?
- そもそも、物語とは一体どういうものなのだろうか。「あなたへの社会構成主義」(ケネス・J・ガーゲン, ナカニシヤ出版, 2004)に、よくできた物語の4つの特徴が挙げられている。それらを列挙しておこう。
- 収束ポイントが明確であること
- 収束ポイントに関連するできごとが語られる
- できごとは起こった順序で並べられる
- それぞれのできごとがその前のできごとと因果的に結びついている
- これらが満たされている時、よくできた「語り」になると著者はいう。このような形式によって語られる何かは、人間の理解の仕方にとてもフィットしているのだろう。さきほどの錬金術の例であてはめてみると、以下のようになる。
- 収束ポイントが明確であること:金を生成させる
- 収束ポイントに関連するできごとが語られる:誰々が卑金属Aにある化学反応を起こさせることを思いついた。また、別の誰々は金属の精錬に有効と思われる水を開発したと述べた。など
- できごとは起こった順序で並べられる:卑金属Aにある化学反応をさせても何も起こらないことは知られていた。そこで誰々は、自ら開発した水を使って卑金属Aを反応させたところ、その金属の性質が大きく変化した。など
- それぞれのできごとがその前のできごとと因果的に結びついている:卑金属に塩酸を反応させると水素が発生することは広く知られていたが、金だけは溶けなかった。そこで塩酸に硝酸をある割合でまぜた水を作った。その水は金をも溶かす水として広く知られることになった。この水は今日、王水と呼ばれている。など
- このように聞くと自分も色々と実験をしたくなる人が出てくることは間違いないだろう。金の生成を目指して試行錯誤を重ね、その結果が経験知として共有されていくプロセスはきっと楽しかったに違いない。錬金術という物語の内幕ではこのようなことが起こっていたのだと想像できる。
- 一方で、物語はいったん信じられたり受け入れられたりするとその世界が所与のものとなってしまい、そこから抜け出すことが難しいケースもある。人と人の対立する場面ではこのようなことが頻繁に起こっている。そこで次に、企業経営の世界に場面を移してみよう。
ナラティヴ・アプローチ
- 「他者と働くー「わかりあえなさ」から始める組織論」(宇田川元一, ニューズピックス, 2019)によると、物語のことを「ナラティヴ」と表現している。ナラティヴとは、いわゆる起承転結のストーリーとは異なり、
物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと
と定義されている。
- 営業部門は製造部門に売れる製品を作るのは製造の役割だ、と考えている時、営業部門は営業部門としてのナラティヴでものごとを解釈しているといえる。また、製造部門はいかにして顧客にものを売るのかが営業の腕の見せ所であり、良い製品が売れるのは当然でありそうでない時でも売ってくるのが仕事だろう、という見方をしていることがよくある。この時製造部門は製造部門としてのナラティヴでものごとを解釈している。このまま営業部門と製造部門が話し合いをしても平行線をたどることは容易に想像できる。
- ナラティヴ・アプローチとは、現状を変えたいと思う側が、いかに自分が硬直したものの見方で相手を見ていたのかということを自覚し、こちら側のナラティヴを変えることによって相手とのより良い実践関係を作っていこうとするアプローチである。ナラティヴはものごとを考える時に強固にその思考範囲を制限する。そのことを自覚し、自らのナラティヴを変形させることによって相手との硬直した現状を打開することを狙う。これはある意味、物語への抵抗力を身につけることでもある。
まとめ〜物語への接し方
- 以上から、物語には人を動かす強力な作用がある反面、それに絡め取られてしまって硬直してしまうと、全く身動きができなくなってしまう反作用もあることがわかった。これを防ぐためには、ナラティヴ・アプローチの考え方が参考になる。私たちは普段からあまり意識せずにものごとを特定のナラティヴに沿って考える性質がある。何らかのナラティヴがなければ逆にものごとを正しく認識もできないので、これは仕方ないことである。他者との対話をする際には、自分のナラティヴが何なのかを意識しておくことが重要である。