相手の立場に立て、とは言うが、、
- ときどき、相手の立場に立てと言われたことはないだろうか。相手の立場になったつもりで物事を考えてみようとよく聞くのだが、それは思っている以上に難しい。なにしろ皆自分だけは正しいという前提を置いているからである。相手が間違えており、自分は正しいことを言っているのだから、相手の考えを正すべきだと。そういう考えが意識もされず前提にあるなかで、相手の話を受け入れるということはすなわち、自分が間違えていることを意味する。それはまかりならないので、最初からそういう事態にならないように、脳は防御線を貼っているのではないかと思える。
- 相手を怒らせ、第三者に冷静に諭され,その時ハッと気づくのだ。自分に都合の良いように考えてしまっていたと。反省し、相手との距離を縮めることができれば良い方だ。大抵はお互いに平行線を辿ることが多い。
何が正しいかなど分かるわけがない
- こうならないように何ができるだろうか?その第一歩は、まさに「自分の意見としてはかくかくしかじかだが、もしかすると自分が間違えているかもしれない」という感覚を常時持つことをまずあげてみたい。これはたとえ自分の意見に賛同してくれる味方がいたとしてもだ。心のどこかに、自分が相手のことを理解できていないポイントがあるのではないか。前から同じ主張をずっと聞かされてはいるものの,その主張には同意できないとしてハナから聞いていないか、スルーしているようなことはないだろうか。その意味合いの捉え方が自分と相手とで大きく異なっているがために相手は何度もそれを主張してわからせようとしているのかもしれない。
- このことを端的に表すシーンが漫画にある。それは「進撃の巨人」(諫山創)巻15, 第59話”外道の魂”において、突然現れた敵兵に対して躊躇して銃が撃てず、結果的に仲間に助けられたジャンが自分の甘さを反省しているとき、調査兵団兵士長リヴァイがジャンに向けて言った下記の言葉だ。
「お前がぬるかったせいで俺たちは危ない目に遭ったな」「ただしそれはあの時あの場所においての話」「何が本当に正しいか何で俺は言っていない」「そんなことは分からないからな、、、」「お前は本当に間違っていたのか?」
- 何が正しいかなど分かるわけがない、お互いに相手のことを敵だと思っているだけであり、立場が変われば真実も変わる。そういうことを言っていると解釈することもできるだろう。
相手に「なってみる」
- 自分が間違えているかもしれないという認識を持ち続けることは理解できたとして、続いて次にどういうことが必要だろうか。それはおそらく相手になりきって考えてみて,なぜ相手がそういうことを述べているのかを理解しようとすることを挙げたい。これについても漫画からヒントを得ることができる。「Monster」(浦沢直樹)巻5, 第9話”ルンゲの罠”において、 登場人物の一人であるドイツ連邦捜査局の切れ者、ルンゲ警部がある中年夫婦の連続殺人事件の犯人を探しているとき、また別の中年夫婦殺人事件が起こる。ルンゲ警部は犯行のあった中年夫婦の自宅に行き、そこで犯人が殺害を犯すまでの一部始終を「犯人になり切って」シミュレーションする。そうすると過去の連続殺人事件とは全く別の事件であることに気づく。
- それは殺害に使用したナイフを持って逃げる老夫を追いかけているとき、鏡の前に逃げた老夫にとどめを刺すつもりが、そこでとどめをさせずに数メートル離れた床の上でとどめを刺していることに気がついたからだ。犯人になり切ってシミュレーションした結果、鏡に写った自分と老夫の姿を見て犯人が一瞬動揺した痕跡を感じたのである。過去の連続殺人事件では、殺人の現場に全く犯人の感情の痕跡が残されていないことが大きな特徴であった。ルンゲ警部はそこに気が付き、この事件は連続殺人事件の「模倣犯」であり、追っている犯人とは別の人物だと断定したのだ。
- ビジネスや日常会話においても、相手になり切ってその相手の生い立ちや考え方の特徴、価値観などを知っておくことは重要だ。意見が食い違った時でも、なぜこの人は自分と異なる意見を持っているのか、自分の考え方を脇に置いてその人になりきって考えてみることによって自分が見落としていた相手の視点に気づくことがある。
まとめ
- 以上から、相手の立場に立って考えるということを実践しようとする場合、まずは自分の言い分がいつでも常に正しいわけではなく、むしろ自分にとって都合のいい考え方をしようとして偏った意見になっていないかをチェックすることが重要だ。
- 次に、ルンゲ警部のように相手の「立場」ではなく「相手そのもの」になり切って相手の主張の理解に努めることが重要だと言えるのではないだろうか。