戦略と前提条件の関係
- 無意識のうちに受け入れてしまっている事柄や常識として思い込んでしまっていることをあえて無視してみることで、考え方の幅が拡がるということを以前に企業戦略を考える場面の中で述べた。企業の中で長年「これは無理だ」とか「うちはこれが強い」などのものの見方や考え方が浸透してしまうと、なかなかその考えから一歩引いて考えることや無意識のうちに受け入れてしまっている前提を自分自身で列挙することは難しい。
- 例えば、入札で仕事を取るような業界の場合、複数の企業が一つの仕事を取りにくるため、価格競争になりやすい。熾烈な価格競争で仕事を取り続けるうちに、いつの間にか価格を下げなければ仕事が取れないという「常識」ができてしまう。はじめは確かにそうだったかもしれないが、その地域で大きなシェアを持てば他の企業にも大きな影響力を持つことになる。本来はその影響力を自覚した上でどのようにしてその力を行使するかを検討しなければならないはずが、身に染み付いてしまった「常識」から逃れられず、相変わらず値段競争をして全社の利益を食いつぶしてしまっているようなケースは様々な業界で見られることだ。
- このように何度も繰り返しているうちにその考えや行動が無意識下に潜り込んでしまうと意識せずともそれが前提条件のように作動し、自分で気づくことが難しくなる。他方で、周囲が前提条件として受け入れることを拒み続けているような事柄を受け入れてしまうことにより、考え方の幅が拡がった例もある。少し分野を変え、科学の発展例を見てみよう。
前提条件を受け入れてしまった例:光速度不変の原理
- 光の速度は真空中で秒速約30万キロメートルであり、その速さは光源が移動していようが観測者が移動していようが、常に一定の値をとる。これを光速度不変の原理という。これを唱えたのはアルベルト・アインシュタインであり、彼は1905年に特殊相対性理論を発表し、その中で光速度不変の原理について言及している。
- 今では当たり前のようになっている光速度の普遍性だが、アインシュタインによる論文が発表される前までは当然ではなかった。
- アインシュタイン以前の物理学では「エーテル」という物質が空間を埋め尽くしていると考えられた。光の本質は波動であると考えられていたため、光が我々の日常でさまざまに伝搬しているのを説明するには波動を媒介する「なにか」が空間を埋め尽くしていることが必要であった。エーテルは、その「なにか」として存在が仮定された物質である。つまり、アインシュタイン以前の物理学では光はエーテルの中を伝わる振動であると考えられていた。
- そこでエーテルの中で太陽の周りを公転している地球が受けている「エーテルの風」を測定する試みが繰り返された。この実験はマイケルソン=モーリーの実験として名高い。測定誤差をなくす様々な試みがなされたが、得られた結果としてはエーテルの風速はその存在を証明するには小さすぎるものであり、測定誤差を考えるとほとんど0に近いというものだった。
- このような実験結果の解釈をめぐり、ローレンツという人物が「運動する物体は運動する方向の長さが縮む」と仮定して実験結果を説明したが、なぜ物体の長さが縮むのかの説明はうまくできなかった。
- 19世紀半ば頃にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって整理されたマクスウェル方程式から電磁波の伝播する速度はおおよそ秒速30万キロであり、これが当時実験的に知られていた光の速さと同程度であったために、光は電磁波の一種であると推定されていた。しかし波の一種であるためにはそれを伝える媒質が必要だったために、エーテルという仮の物質の存在を仮定してそれを証明しようとしたわけだが、それに失敗してしまったということである。
- そこでアインシュタインは、マイケルソンの実験は結果は説明すべき対象などではなく、自然の摂理として受け入れるべきものだと考えた。なぜそうなるのかの説明をやめ、それが自然の摂理なのだから原理として要請するべきだ、と。
- この全く異なるアプローチにより特殊相対性理論は導かれている。光速度が不変であるということを前提条件として受け入れてしまったことで、科学が大きく進展したということだろう。
メタゲームという場
- 以上のように企業戦略の検討段階で暗黙の前提条件を外して考えることの重要性がある一方で、科学の世界では説明がつかない事象を原理として受け入れてしまったことにより大きく理論が進展するケースもある。
- 前提条件に対する接し方としてこれらのケースは真逆であるかのように見えるが、実際は何か別の要素があり、ある場合は前提条件を崩した方が上手くいくケースや、あえて前提条件としてしまった方が上手くいくケースに分かれていると仮定した場合、その別の要素とは何だろうか?
- ひとつ考えられるのが、「メタゲーム」だ。メタゲームとは、例えばカードゲームなどの対戦の時に、対戦前に対戦相手の取りうる手や過去の傾向などを分析し、あらかじめそれに適した戦略を構築するというように、ゲームの外部要因に応じて起こりうる状況の分析から導かれる意思決定である。メタゲームはカードゲームだけではなく、政治やスポーツなど相手との駆け引きが必要なあらゆる場面で起こっていると考えられる。テニスの大会で芝の状態を考慮してスライスを多用する戦略を取った方が有利になれる可能性が高いという判断もメタゲームの一種だろう。
- 企業戦略の場面でもメタゲームは生じている。冒頭の事例で説明したように、皆が値下げしなければ仕事が取れないと考えている時に、周囲の状況や自社の状況を考えた結果、あえて今年は値上げ要求をしてみるという行動に出ることはメタゲームの例と考えられる。値上げが不利に働き、仮に自社が落札できなかったとしても自社と同規模でその仕事をできる他の会社がその時点でほとんど存在しない場合などは値上げが拒否される可能性は低いと考えて行動することは一定の合理性がある。大勢を読み切っているため、実際の交渉はあくまで大勢の一部分として進行する一つの筋書きに過ぎないということになるのだ。
- アインシュタインのケースについては、実際にそのようなことを意識していたかどうかは定かではないのだが、あの時アインシュタインはこう考えていたのではないかという想像はできる。
- つまり、周囲の科学者が光の波動説とその説が要請するエーテルの存在に固執しすぎるあまり、何度も実験を繰り返しては失敗するということを繰り返している中でその実験をさらに精緻化するような研究の方向性は選ぶ気になれない。むしろ先駆者たちが残した実験結果が意味するものを考え抜き、それを前提として理論を展開した方が良い結果が生まれるのではないか、と。
- 当時の科学者たちの研究の方向性を俯瞰しながら自分の進むべき方向性を決めるのは立派なメタゲームだろう。多くの人がその時代やその組織で受け入れているものが前提条件なのだから、それを否定することは勇気がいることだ。また、多くの人が前提条件としていないことを前提条件とするべきだ、というのも同様に勇気が必要なことだ。影響範囲が強く、大きいものに関する意思決定は単にその勝負や駆け引きの場だけを見ていてはならず、その場を支配しているさらに大きなメタゲームの場から戦わなければ良い成果は生まれないということなのだろう。