分断思考とは?
- 今日は分断思考というものについて、2冊の書籍を繋げて考えてみたい。
- まずタイトルとなっている、分断思考について。新型コロナウイルス関連のニュースはまだまだたくさん流れているが、例えばとある新聞が集約している新型コロナ関連のデータの中に、ワクチン接種に関するデータを集めたものがある。そこには、明確に「先進国」「新興国/途上国」という区分けでデータがグループ分けされている。
- 普段何気なくみているとなんとも思わないかもしれないが、この分け方は分断思考をよく表していると思われる。先進国と途上国という呼び方でいまだに綺麗に分けられるのだろうか?分ける基準は何なのか?中国はどちらに入るのか?など、考えてみるとはっきりしないことが多そうだ。
FACTFULNESSで言われている分断思考
- 分断思考の例は「FACTFULNESS」(ハンス・ロスリング,2019)に挙げられている10の思い込みのトップバッターを飾るものだ。例えば富裕層と貧困層など、人はとかく極端な2つのものに分類して整理することが好きである。共通点や相違点を見つけて分類し整理するという思考は、おそらく人間の認知の仕方にも深く関わっているのだろう。善と悪や北と南、保守と革新などの2項対立の図式で説明されると分かった気になりやすい。しかし一方、そのような2極の分類を用いて理解をすることで、実際には大差がなくても必要以上に2極間には越え難い断崖絶壁があると思い込みやすくなる。
- 実際にニュースを色々と調べてみると良い。新型コロナウイルスによって貧富の差が拡大し、2極化しているというニュースは必ず見つけられるだろう。2極化という表現はセンセーショナルで人の目も引きやすい。マスコミがそのような表現を好むのもこうした理由が背景にあるのだろう。
- ところがハンス・ロスリングはそのような分断思考は今や錯覚であると言い切る。例えば低所得国に住む人口は世界全体の人口のたった9%しかいない。世界の大半の人は中所得国に住んでいる。低所得国にはいまだたくさんの人が暮らしており、惨めな生活を送っているというイメージがあるかもしれないが、それは昔の話だという。また、低所得国で初等教育を受けられる女子の人口は少数派だとと思いがちだが、実際は半数を超えている。一人当たりの出産人数も最近ではかなり少なくなり、五歳まで生存する子供の割合も様々な国で差がなくなってきている。
- これらはいずれも低所得国と高所得国との間には大きな溝があるという感覚とは合わない。しかし、これが事実なのである。修正が必要なのはむしろ私たちの感覚の方なのだ。
- こうした分断思考が現実を見る目を歪めてしまっている一方で、自分の心の中の気持ちはどうなっているのだろうか。同じように白黒はっきりと分断されているだろうか?
どちらかを選んだとしても心の中では51対49で決まっている
- 次に、「こころの処方箋」(河合隼雄,1998)で言われている「51対49」の話を検討してみよう。
- この話は、カウンセラーとして著者が経験してきた、人間の心の動きを誠にうまく捉えた説明である。著者の言葉を借りよう。
こんな時に私が落ち着いていられるのは、心の中のことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。この高校生にしても、カウンセラーのところなど行くものか、という気持ちの反面、ひょっとしてカウンセラーという人が自分の苦しみをわかってくれるかも知れないと思っているのだ。人の助けなど借りるものか、という気持ちと、藁にすがってでも助かりたい、という気持が共存している。しかし、ものごとをどちらかに決める場合は、その相反する気持の間で勝負がきまり、「助けを借りない」という方が勝つと、それだけが前面に出てきて主張される。しかし、その実はその反対の傾向が潜在していて、それは、51対49と言いたいほどのきわどい差であることが多い。51対49というと僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識の中に沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非常に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。
- この文章から、実際どちらかの判断をしているかのように見えたとしても、本人の心の中はどちらの側にもなりえるくらいきわどい判断となっているということがよくわかる。しかし一方、本人でさえこのような心の動きを意識することは難しいというのだから、他人から見た自分の判断は、分断思考の影響も受けてよりどちらか一方の極端な方向で理解されることが多いということだろう。
まとめ
- 人間が何かを理解する時、それと対立する関係があると対比を通じて理解が進みやすい。一方で過剰に対比しすぎてしまい、相違点が過大に意識されてしまうことがある。これが分断思考である。分断思考に捉われてしまうと2つの物事の間には大きな断絶があるかのような錯覚に陥ってしまう。
- 次に人間の判断や行動を見てみると、他人の目からはある1つの考えにまとまった上で判断ないし行動しているように見える。ところが実際はまとまっているとはいえ僅差でしかなく、その差を誇張して捉えてしまうと人間の心の揺れ動きが理解できなくなってしまう。
- 大きな違いがあると我々が思い込んでいることの中には、こうした分断思考の産物が隠れているのかもしれない。