老害について感じたこと
- よく、周りでこの人は「老害だ」と感じることはないだろうか。仕事先でも、バイト先でも、学校でも、いろんなところで偉大な先輩方がいるのは事実だ。ところが一方で、新しい考え方に馴染もうとせず、頭から決めつけてしまうともう元に戻らないような、そんな頑固な人もいるのは事実だ。政治絡みで不祥事のニュースを見ていても、もうそんなご年齢だったのか、一線を退いたらいいのでは?と思ってしまうような人が未だ権力を握っている姿が垣間見える。
- 例えば職場でそういう頑固な人に遭遇し、説得を試みたもののあえなく撃沈するといった体験をしたことがある人も多いのではないか。そんな時、自分の後輩や年齢が近い同僚などに愚痴をこぼすこともあるだろう。
- 周りの同僚や後輩は、老害っぷりについて愚痴をこぼすと大抵同意してくれるはずである。なんといっても老害となった人よりも圧倒的に世代が近い。感覚が近いというのもあるのかもしれない。しかしここで、一つ疑問が生じる。
- 自分が老害だと思っていたあの人も、もしかすると昔は自分と同じような目にあって愚痴を周りにこぼしていたのではないだろうか?と。または、同じようにそういう愚痴を聞いて「そうだね、それはひどい話だね」とか、同意していたのではないだろうか?
- これがもし事実なのであれば、話は単純ではなくなってくる。なにしろ、今の自分達を早送りしたらその老害たる人になっていく可能性が出てくるからだ。
老害のターニング・ポイント
- そう考えると、老害にはどこかでそのきっかけとなるような、ターニングポイントがあったはずである。なぜなら、今老害だと思っているその人も、昔は自分と同じ立場で老人たちの頭の硬さを嘆く側だったからだ。どこかにその人のターニングポイントがないと、老害が発生する訳が無い。
- では、そのターニングポイントとはどこだったのだろう?どこで人は道を踏み外して老害への道を進んでいくのだろうか。
- 私が思うのは、明確なターニングポイントは存在しないということである。それは徐々に進行する不可逆的なプロセスの積み重ねの結果なのではないだろうか。だからこそ、明確なターニングポイントも見つからず、周りや自分から見て「あ、今ターニングポイントに差し掛かったから気をつけよう」と思えないのではないだろうか。
- 茹でガエルの寓話では、熱さにのけぞるほどではないものの、長時間いると体力を消耗するくらいの温度のお湯に漬けられたカエルが、熱くてそろそろ出たいなと思う頃にはもう出る体力が無くなってしまい、結果茹で上がってしまう。
- これは熱の危険を感じ取る皮膚のセンサーが、今すぐ出ないと危険な温度に対してしか反応しない様にできているからである。それ以下の温度のお湯につけられてしまうと、出るべきタイミングが見つけられずに浸り続けてしまう。
- 老害は、それと同じように危険を察知するようなセンサーに引っかからないレベルで徐々に進行していくのではないだろうか。
ダウンローディング
- 「U理論」(C・オットー・シャーマー,2017)の中で、組織やシステムが過去のパターンを習慣的にダウンロードする性質を持つことを「ダウンローディング」という。ダウンローディングは人間が起こったことから学習するプロセスを阻害し、「学習障害」の状態にしてしまう。
- 我々がすることは、行為や思考の習慣的なパターンに従っていることが多い。お馴染みの刺激があると、人はお馴染みの反応を触発する。親や先生などに何度も同じことで注意されているうちに、「またか」と話を聞かなくなるようなことは誰でも経験したことがあるだろう。それがダウンローディングな状態である。同じことを言われ続け、同じような反応を繰り返しているうちに、いつしかその反応が固定化してしまって自分でも気づかなくなるのだ。
- 年齢を積み重ねていくうちにこのようなダウンローディングな反応がいろんな局面で学習障害を引き起こし、周囲からのある刺激に対する反応が常に一つのパターンになる、というような状態がまさしく「老害」なのではないだろうか。
「観る」ということ
- では、我々はダウンローディングな反応にならないように何に気をつければいいのだろうか?「U理論」が述べるのは、「判断を保留すること」である。人は、一度なんらかの対象になんらかの判断を下してしまうと、後になってその判断を覆しにくい。判断が覆りにくいということは、もうそれ以上はその対象をよく観察しようともしない。そうすると、その対象に対する理解もそこで止まってしまう。かくして人は触れたり見たり接した物事から学習する力を失っていくのである。これを止めるには、その大元となる「判断」をやめるしかない。なんでもすぐに決めつけてしまわないようにする、物事をグレーゾーンに置き続ける、と言い換えることもできるだろう。
- 観る能力を養い、我々の中にある好奇心を呼び覚ますのは判断の保留が効果的だ、とU理論は述べている。しかしやってみると、これが意外と難しい。ついついこれはこうだ、と決めてしまっていることが多々ある。もちろん、なんでもかんでもグレーゾーンに置いていては、脳がパンクしてしまう。脳はショートカットを好むのだ。この動きに抵抗し続けるのは日頃から意識しておかないと難しいだろう。老害が進行していく裏側にはこのようなメカニズムが潜んでいるのではないだろうか。
- だとすれば、老害の進行は若い頃から日々進んでいると言える。老害を非難している人たちも、非難する傍らリアルタイムで老害が進行しているのだ。日頃から物事を考えたり判断する自分のクセをよく知り、時々自分でチェックしてみてはどうだろうか。