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「快感回路〜なぜきもちいいのかなぜやめられないのか」を読みました

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こんにちは。新年が始まりましたね。

今年もたくさん読書をして、日常生活を少しずつでもより良いものにしていくための何らかのお役に立てればと思います。

新年早々少しヘビーな内容かもしれませんが、最初の投稿は「快感回路〜なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか」を読みました。

というのも、年末年始に怠惰な生活を送りすぎたのか、ゲームに夢中になってしまった自分を見た妻に見下されたからです。

恥ずかしながら、年末年始はゲームざんまいで、、

仕掛けが上手くて、継続的にやり続けるような仕組みをしっかりと構築されていて、会社からすると都合の良い集金マシーンになっていたと思います(汗)

まあ、ゲーム会社にも頑張ってほしいから、みたいなテキトーな理由で課金してましたから、、

でも社会問題とまでは行かなくても、結構みんなやってます。そして課金してますよね。見方によってはどうしようもないこの非生産的な時間の過ごし方ですが、必要としている人はそこらじゅうにいるわけです。

これはいったい何故なのだろう。

どうしてこんなことになっているのだろうか、これで人類が発展し続けることはできないのでは?よくこんな怠惰な習性を備えながらここまで進化の道を歩めてきたもんだなあ、、と思って(自分のことは棚に上げて)この本を開きました。

そこに書かれていたのは、こうも人間は単純に作られているのか、というあっけない生物科学的に見た報酬と依存の関係でした。人間が幸福を感じる瞬間というのは、生物科学的には1パターンしかなくて、脳が快感を感じる回路を刺激されて、ドーパミンが放出され、それが特定の部位(複数ある)に伝わっていく時だけだそうです。

この回路自体を作動させるキッカケになるのは、例えば非日常に興奮するときは脳が快感を感じているが、そのきっかけは楽しい海外旅行だったり、新しい人との出会いだったりするんだと思いますが、何を日常とするかによって異なってきますよね。

つまり人それぞれということです。人それぞれ、何が好きで何が嫌いかも異なるし、何に興奮するかも違う。なので、どういう刺激にどういう反応をするかという脳の回路パターンによってそこは異なるということだと思います。

そこで共通しているのは、快感を感じているときは必ずVTAという脳の部位が刺激されて、そこからドーパミンが特定の部位に放出されて活性化した状態、ということらしいです。

こうした快感を得たいという衝動が、ヒトのあらゆる行動の源になっていると。なるほどなるほど。

だが一方で、この快感回路自体は僕たちが「善」「悪」と呼ぶものの区別ができないらしいです。なので、社会的に「悪」と見なされることでも、快感回路は刺激されればそれが心地よくなってしまう。

これが快感回路の負の側面である「依存症」につながる。

依存症は、長期的な報酬と刺激の繰り返しによって、脳の神経回路自体の形状が変容してしまって起こると思われるそうな。なにやら刺々しく変容してしまった神経回路の写真を見たが、何か神経細胞が変容すると聞くと怖く感じてしまいますね、、

自分の脳もゲームによって刺激を繰り返され、変容しようとしていたのかと思うとちょっと怖く感じますね。

なので、冒頭の話のつづきになりますが、自分はゲームをやめました。いきなりプレイ時間を0にしました。中途半端だとまた刺激されて、ゲームの世界に戻されるに決まっているからです(汗)

自分の意志の力とか、そういうものではないということが重要だなあと改めて思いました。

自分の意志の力を信じているとしても、それは単なる誤解な訳です。脳の回路がそのように形成されているだけで、仕組み自体はみんな同じ訳です。

それが依存症になってしまうこともある、ということです。

僕はもともと自分の意志の力は全然当てにせず、どうすれば意志が弱い自分でも失敗せずに生きていけるかということを基本的に考えて生きてきましたが、これで科学的根拠が得られました(笑)

また、こうして生物科学的反応に還元して話をしてしまうと、仮に何らかの依存症になっている人を周りで見たとしても、「自分も環境が変わればこのようになっている可能性は大いにありうる」という風に見えてしまいます。

同情ではないけど、そういう人を自動的に蔑むような見方はできなくなるように思います。

それが何なんだ、というところですが、依存症とまで大げさに言わなくても、私たちが日常接しているほかの人たちのよく分からない言い分も、こうした脳科学の結果として当人は意識せず発しているんだなあ、としみじみ思うことができたらちょっとその人を許してあげよう、話を少し聞いてあげよう(ちょっと上から目線だけども笑)という気持ちに少しだけ?なれるかもしれません。

逆に、「なぜそういう人たちを蔑むような価値観がデフォルトでインプットされているのだろう」と考えてみると、生産的でない人口が増えると国家が困るからでしょうね。

大多数の国家が自国民を立派な生産能力(あるいは立派な軍事能力)とするために必要なのがそのような価値感なわけで、それが「法律」として、お役人さんによって熱心に取り締まられ、ニュースで報道され、「それは悪だ」という価値観が無意識のうちに僕たちの脳に刷り込まれているわけですね。

人間社会は深いなあ、、

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