今回はちょっと変化球かもしれませんが、「意識とは何か、いつ意識は発生するのか」という超根本的すぎて日常なら誰も気にすることのないようなテーマについて、2名の医師が斬新な視点から説明を試みた本をご紹介します。
この本、僕にとってはすんごい刺激的な内容だったんですよ。
何がって、、?
近年、何やら脳科学はずいぶん発達して、脳の中の電気信号がどのように発生して、それがどう伝わって行くのかということがかなり詳しくわかってきています。
シナプスという接合部位を介して神経伝達物質のやりとりが生じて、、、云々かんぬん。あんまり細かいことは僕も分かりませんが、かなり研究は進んでいるようです。
がしかしですよ、、、??
いくら脳の構造が紐解かれても、脳神経細胞内部で電気が発生しそれが伝わって行くメカニズムが解明されても、そもそも「意識とは何か」については、何の答えもなかったのです。
個々のニューロンの所作に関する説明をいくら詳しく知っても、それらが全体としてどのように意識を構成するのかとは別の問題です。
この問題は古来から哲学者たちを悩ませ続けてきた問題でもありました。デカルトの有名な「我思う、ゆえに我あり」というやつもそうですよね。
考えたりしている主体である「私」って一体なんなんだ??という堂々巡りかのような議論が古来からなされてきたのです。
こうした意識にまつわる問題を、「統合情報理論」を武器に説明を試みたのが本書です。
この本の凄いところは、この答えがなく難しい問題を、(おそらく)これまで誰も試みてこなかったような、斬新な視点から説明しきってしまった点にあります。
想像してみてください。聞いたあとでは、「へーえ、なるほどね」とこそ思いますが、そもそも意識の問題と情報理論が結びつく前は、まったくそんなことは誰も想像もしてこなかったんですよ。
普及したり、一度聞いた後では「当たり前」になってしまうので、ついつい見逃してしまいそうになりますが、、、凄いことですよね!?
これは、安宅和人さんの「イシューからはじめよ」で述べられている「良いイシューの条件」として、「新しい構造で説明する」ということに、モロに当てはまることでもありますよね。
「意識が発生するメカニズムは、統合情報理論によって説明可能である」というイシューですね。
意識にまつわる謎にこれまで挑んできた脳科学や哲学からすると、情報理論による説明というのは全くもって斬新であり、ハッと気づかされるものがあったんだろうな、と思います。
脳科学者はこれまでの脳科学で解明されてきた事実や研究方法などをツールにして、意識について考える。哲学者はこれまでの先達たちが残してきた足跡をツールにして意識について考える。
どうしても、使っている「ツール」に依存した物事の捉え方、認識の仕方になってしまうんですよね。そして自分の認識の仕方がそのようになっているということ自体、意識に登りません。
会社活動でも同じです。会計が得意な人は複式簿記のアウトプットをツールに物事を考えますから、どうしても視点が会計よりになってしまう。管理会計も同じです。システムから吐き出される数字が「得意先別売上総利益」だったりするわけです。
そして、得意先別売上総利益がツールとして与えられているので、自然と得意先ごとの採算管理の話が社内では出てくることでしょう。
しかし、そもそもなぜ得意先に分けることが有用なのか?得意先別では把握しきれないような「案件制約までの期間が長いほど収益性が高い」とか、仮にそういうことがあったとするとそのような現象にどうやって気づくのか?
私たちは日頃から与えられているツールを前提に物事を考えてしまいがちですが、時にはそのツール自体がなぜそれで正しいと言えるのか?ということを考えてみると、これまで気づかなかった新しい視点で物事を捉え直すことができるかもしれません。
そしてそれは大概、みなさんの会社にとって画期的な次の一歩に繋がっていることだと思います。