いよいよワールドカップですね。
私は日本代表はもちろん応援しますが、リーガ・エスパニョーラもよく観てるのでスペイン代表にも頑張ってもらいたいところです。
南アの快挙をもう一度観たいですね。イニエスタもきっとこれで最後のW杯だろうし、、、
さて今日は、小坂井敏晶さん著作の「社会心理学講義-<閉ざされた社会>と<開かれた社会>」について書きます。
この本、私がこれまで読んできた本の中でも特に重要だと思う書籍です。
そのため少し力んでしまっているかもしれませんが、まあ内容も多岐にわたりしかも深いので、何度かに分けて追っていこうと思っています。
矛盾に対して妥協的な解決を求めるのではなく、逆に矛盾を極限まで突き進める姿勢から画期的な発想が生まれる。アインシュタインも同じです。光を粒子の束と捉えるニュートン力学と、波動として理解するマックスウェル電磁気学との矛盾を前に、どちらかの理論が間違いだと考えず、両方維持しながら矛盾を解こうと努力する。その結果、時間と空間の性質という、より根本的な概念の見直しが行われる。相対性理論の誕生です。
この一文ですね〜〜!
何も私たちはアインシュタインやニュートンのような、世界を揺るがすくらい凄いことを日々考えているわけではありません。
がしかし、仕事をしていると、上司と部下、取引先と自社、などなど立場の違う人たちと意見が対立することが度々あると思います。
私の例で言うと報告書を顧客に提出するような時も同じことがあります。
こうだ!!と思って報告書を書いても、それをお客さんに見せると「ここはこう変えてくれ」「その表現だと困る」などなど、いろんな要求がやってきます。
その時、大概の人の反応は2つに分かれると思います。
客の言いなりになるひとと、客に自分の正しさを分からせようとする人です。
がしかし、これらは共に「自分の意見が正しい」ことを前提としている点で共通しています。
それを諦めるのが前者、相手に諦めさせようとするのが後者です。
このゲームはいずれかが妥協することにより終了します。妥協からは何も新しくて豊かなものは生まれない。
じゃあ、どうすればいいんだ。
お互いの言い分が、「共に正しいのではないか」と一旦仮定を置いてしまうんです。
「いやいや、相手が間違ってんじゃん!!」、、、いやいや、いいから一旦そう仮定を置くんです。
そう仮定した時に、何が見えるか。
どうやら争点になっていた点は本質的なポイントではなかった、ということが往々にしてあります。
細かい表現にうるさいお客さんと、そんなところはポイントではないと思う自分。
両者が正しかったとすると、どう書き換えることができるか?
そういう問いかけが必要な場面は、意外と多いと思います。
私の業界ではとくに報告書を出す仕事が多いので、そういう場面も多くなります。
その時に踏ん張って「両者とも正しかったと一旦無理矢理でも仮定を置くと、何が見えるか?」と考えてみると、
意外と以前よりもより豊かな表現を纏ってわかりやすくなった報告書が出来上がる、ということがよくあります。
お見せできずにすみません(守秘義務があるので)。
皆さんも、対立したり矛盾していると感じているときは、「仮に両方正しいと仮定すると、何が見えるか?」
を自問してください。
意外と、会社の中で捻くれて陽を浴びていない人が、実は本質を語っているのではないかと思えてきたり
しますよ。それが見えたとき、長年解決できなかった組織の問題点に大きな風穴が開くかもしれません。
では、また。