微分方程式の有用性
- 新型コロナウイルスが蔓延する中、よく聞く言葉に「指数関数的増加」というのがある。これはコロナ患者の数が時間経過とともにその増加スピードを増していく様子を指している。実際に指数関数は$y = x^a$の形を取り、$x$が正かつ$a>1$の時、グラフを描くと右に向かってどんどん増加幅が大きくなるような形をとる。これが「指数関数的増加」だ。コロナ感染者の数もこのような増加の指数関数の上に乗っかってしまうと倍々ゲームどころか、あっという間に桁が増えてしまう。
- 自然界におけるこのような増加の仕方は、よく微分方程式を使って導かれる。微分方程式についてよく話題にされるのは、以前のテーマにも登場したマルサスの人口論である。マルサスは人口増加の仕方が微分方程式で表されるとして人口増加の予測モデルを作った人物である。マルサスによると、人口増加のモデル式は\(\displaystyle \frac{ \mathit{d} N}{ \mathit{d} t} \) = $ rN$で表される。この微分方程式を解くと、$ N = e ^ {rt} $が得られ、人口$N$は時間$t$の指数関数となる。
- このモデルに従うと、人類は爆発的に増加し「続ける」ことになる。なぜなら先程の微分方程式の解は$t$が増加するにつれ$N$が無限に増加し続けるからである。マルサスが人口論で指数関数的に増加する人口に対し、食糧は一次関数的にしか増加せず、したがって人口の増加は貧困を招き、やがてそれは人口増加を停滞させると説いたのは1798年だ。ではその後、実際に食糧が追いつかず貧困が拡大してきたか?化学肥料の開発等により食糧生産の効率は著しく改善され、食糧難には陥っていない。一方で人口は10000年前から1800年まではゆっくりと時間をかけて10億人まで伸ばしてきたのが、今や80億人に達しようとしている。その後のたった200年余りで人口は7倍になったのだ。他方、日本を含む先進国の一部は少子高齢化が進み、人口減少社会へ突入している。少子高齢化社会の到来はさすがにマルサスの時代には予測できなかったようだ。
- 微分方程式はこの他にも放射性炭素を用いた年代測定や、人工透析機の透析液の濃度や血液の流速が老廃物の除去率をどう変化させるかについての数式モデルなど現実問題を数学的にモデル化する際に幅広く用いられている。微小な変化量が相互に作用を及ぼしあいながら全体を形作る様は、まさに自然の姿に近いのではないだろうか。
- では微分方程式を立てられさえすれば、どんな自然現象でもモデル化が可能であり人間は自然現象を説明しきることができるのであろうか?「ブラック・スワン」という著書で人間がいかにリスクを正確に把握できず、いかに巨大な影響を及ぼす事象であってもめったに起こらないことはうまく予測できないかということを述べたナシーム・ニコラス・タレブは、その著書「半脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」1でこう述べている。歴史の大半は影響が巨大で大規模でありかつ、予測不能で突発的な事象であるブラック・スワン的な事象で成り立っているにもかかわらず、私達は正常な状態に関する知識を微調整して予測モデルを構築しようとする、と。(Nassim Nicholas Taleb, 2012 望月・千葉, 2017)
- 微分方程式は変化する現象の一側面を切り取り、その瞬間に成り立っている変化同士の関係を表したものだ。確かにその瞬間にはそのような変化量同士の関係が成り立っていたのかもしれない。ところが、微分方程式を解く際に私達は「積分する」ことを通して、その一つの断面を現象として私達が目にする姿形になるまで拡大してしまう。これがいわゆる「モデル化」である。モデル化のプロセスで私達は瞬間に見えた関係から現実に目の前で起こる関係を演繹的に予測するのだが、そもそも瞬間で見ようとしていた景色以外のファクターの影響を捨象してしまっている。そのため、よく現実にフィットさせたモデルをもってして「完璧に」予測できるという前提をいつの間にかおいてしまう。
- 次に、予測に関して別の分野を覗いてみよう。同じく現実をモデル化して財務数値に落とし込み、将来予測をするものとして「事業計画」がある。事業計画は会社の将来に関する経営者のビジョンの具現化でありメッセージでもあるため、単なる予測とは次元が異なる。しかしモデル化と将来予測が重要なファクターになっている点で、微分方程式を用いた予測と共通点もある。
事業計画の短期化
- 事業計画というと通常はその会社が目指す5年程度先の姿を描き、何年目までにここまで到達しよう、というようなものを想像する人が多いだろう。ところが、近年はどうも計画期間が3年程度、それも毎年ローリングをするから結局は単年度計画のようなものになっているケースも多い。事業計画が短期化しているのだ。確かにコロナ禍がいつ明けるのか、その回復見込みを正確に予測することは難しい。それまでは単年度計画を回しながら経済環境が安定してきたタイミングで改めてその時点で判明している事実をもとに3年〜5年程度先のことを見据えたほうが意味のある計画になるだろう、という意見が出てくることは容易に想像できる。
- コロナ禍は不意に相互連結した世界の姿を浮き彫りにしたと言えるだろう。物、人、金、情報が自由に行き来していたのがコロナ直前の状況があったからこそ、今世界はこれだけコロナ禍の蔓延に見舞われているのだ。都市圏、特に日本の首都圏のような広域荷鉄道網が行き渡っている地域に住んでいると、この相互連結の影響がいかに大きいかを実感するのはそう難しいことではない。ある朝出勤のために電車に乗っていたら、聞いたこともないような場所で人身事故が発生し、その影響で自分が乗っている電車が遅れるということを経験した人は多いのではないだろうか。これはダイヤの圧縮と鉄道会社間で相互接続が発達している首都圏に顕著に見られる現象だろう。繋がりすぎた結果、自分から遠いところで起こった現象の影響を受けてしまうのである。これは相互接続による利便性の向上の裏側で起こったダイヤの不安定性の増大と考えられる。
- バタフライ効果と言われるたとえを聞いたことがある人もいるだろう。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こすという例え話で、米国の気象学者であるエドワード・ローレンツがカオス理論に関する講演で使ったタイトルだったのが、そのわかりやすさから広く一般に浸透したものだ。遠いところで起こったなんの変哲もない小さな出来事(ブラジルで1匹の蝶が羽ばたくことにより空間にごく小さな風圧が生じた)が、次々と影響を与えていくうちに次第に大きな空気のうねりとなり、竜巻になることだって考えられるという話である。言うまでもなく地球上の大気に切れ目はなく(北半球と南半球では大きく異なるが)、相互接続されていると考えられる。その結果影響が遠いところにまで及ぶということだ。首都圏のダイヤの不安定性が増大したのもこの相互接続による影響があることは間違いないだろう。
- 同様に相互接続された経済空間における企業活動も全く同様に、その不安定性が増大していると考えられる事象はいくらでも見つけることができる。2011年に起こったタイの大洪水は、日本の自動車産業のみならずデジタルカメラ等の精密機械や電子部品、加工食品など多くの産業に渡って影響を与えた。2020年9月、トランプ大統領が対中国との覇権争いの中で米国の技術を用いて製造した半導体のファーウェイへの供給を認めないこととしたが、ファーウェイはその対策として規制がかかる直前に台湾の半導体メーカーにあらん限りの金を使って在庫を積み増し、それが後々に半導体ショックとして様々な電気製品の生産遅延として表れ、大きな波紋を呼び起こした。
- 企業が直面している経済環境は相互接続が進んだ結果、予期せぬ場所や予期せぬ組織体の行動で自社が大きな影響を受けるような状態にあり、先行きを読むことが極めて難しくなってしまった。5年先のことも予想することは難しいのだ。であれば、今の環境から予想できる比較的近未来に焦点を絞ることもあながち否定はできない。つまり、企業にとっての将来の姿は、ビッグ・ピクチャーを描くというよりも現時点の判断や行動の積み重なりとしての性質がより色濃くなったというふうに考えられないだろうか。
- この場合、事業計画は現時点での断面を見て将来の姿を合理的に予測したものという色合いが濃くなる。つまり微分方程式を用いて将来予測モデルを作るような作業と近似していくということだ。モデルは常に不完全だから、得られた観測値により適切にフィットするよう構築後も微調整される。同様に事業計画も1年間動いて見えてきた新たな課題や事実を反映させて計画を微修正し、変化する現実にフィットさせる。
- ブラック・スワンがより生じやすい環境となった現代では、このような「臨機応変な」対応が生き残るためには必要になってきていると考えられないだろうか。
1 Nassim Nicholas Taleb (2012), Antifragile: Things That Gain from Disorder (ナシーム・ニコラス・タレブ 望月衛・千葉敏生[訳](2017). 『反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』 ダイヤモンド社)