説得することの難しさ
- 以前、モンティ・ホール問題をご紹介したときに、いかに直感で「こうに違いない」と思ったことを他人が覆すことが難しいかという話をさせていただいた。別の角度から見ると、いかに説得が難しいかということでもある。そう、人間は誰もが自分自身を変えたくはないのだ。自分の感覚が正しいに決まっている。程度差はあるにせよ、心の底ではそう思っているに違いない。
- では人を説得するにはどうすればいいのだろうか?今はなんでもインターネットで分かる時代だ。試しに調べてみると、説得するための方法○○選などのサイトがたくさんあることが分かる。関心が高いということは、それだけ説得しなければならないと感じて課題感も強いということだろう。
- ところが、そのような方法で説得を試みたとしても大概は自分の思い通りにはいかない。これはなぜだろうか。
- そこで再び将棋界のエース、羽生善治氏の著書を見てみると、何やらヒントになりそうな概念が出てくる。
大局観
- 「大局観 自分と戦って負けない心」(角川新書, 羽生善治, 2014)によると、大局観とは具体的な手順を考えるのではなく、大局に立って考えることだとの記載がある。パッとその局面を見て、今は攻めるべきか、守るべきか、長い勝負にした方が得かなどの方針は大局観から生まれるという。この大局観を身につけるには経験を積む必要があり、年齢を重ねてもこの大局観は育て続けることができる。
- 具体的な指し手順ではなく、相手との駆け引きや盤面の優勢/劣勢、自分の人生観や将棋における指し方の考え方などが渾然一体となって大局観が現れるようだ。では人を説得することが難しいという話と大局観とはどのような関係があるのだろうか。そこでまた再度、戦略コンサルティングの開祖とも言える大前研一氏の知見を借りよう。
戦略とは何か
- こちらも以前にお話したのだが、「企業参謀」(大前研一, プレジデント社, 1999)によると、戦略的思考の根底にあるのは、一見混然一体となっていたり、常識というパッケージに包まれてしまっている事象を分析し、ものの本質に基づいてバラバラにしたうえでそれぞれの持つ意味合いを自分にとって最も有利となるように組み立てたうえで、攻勢に転じるやり方であるという。
- この考えかたについて今回着目したいのは、思考対象となっている企業戦略の各要素についてバラバラにして組み立て直すというような思考作業をしてはいるものの、それはあくまで戦略立案者の頭の中で行われているものであり、思考前後で変わっているのは対象としての事業の実態というよりもむしろ思考している主体としての自分の物事の認識の仕方であるという点である。
- 対象を実際に変えるのではないという点がことさら重要で、これは説得という作業が基本的に自分の主張を相手に飲んでもらうという枠組みで行われることと対照的である。そこで、これらを定式化すると以下のように考えられるのではないだろうか。
- F説得:説得対象の考え |→ (説得する側としての)自分の考え
- F戦略:思考対象の通常の見え方 |→ (自分にとって)有利な見え方
- つまり、戦略的思考(F戦略)にとって思考対象の本質は上記の変換式の前後で不変であり、性質は保存される。逆に説得(F説得)では説得される人の頭の中は上記の変換式により自分の考えに書き換えられ、変換される。ただし、自分の考えと説得対象の考えが近似している場合は変換によって概ね不変となる。
- 大局観も戦略と同様の定式化が可能ではないだろうか。
- F読み,直感:盤面 |→ 次の一手
- F大局観:盤面,人生観,勝負勘,駆け引き |→ 方向性
- 羽生善治氏は先述の著書の中で「読みや直感」と「大局観」とは別物として扱っている。若い頃の鋭い感性とロジックで磨かれるのが「読みや直感」、経験から学ぶことを日々繰り返しながら到達する人生観などの混合体が「大局観」ということなのだと思われる。
- 読みや直感は、盤面を見ながら次の一手をロジックで読み切り、最終的には具体的な指し手として変換される。そのため、変換の前後で盤面がダイレクトに変化する。他方で、大局観のほうはあくまで盤面の状況や人生観などが「攻め時/守り時」などの感覚値に変換されるのみであり変換の前後で盤面は維持されている。実際に次の一手として形になるのは、この感覚値に基づいて検討された結果である。また、特定の感覚値に基づいた指し手は一通りとは限らないだろう。攻め時という感覚値が得られたならば、それを体現する指し手はその盤面で複数あってもおかしくない。つまり、大局観のアウトプットは複数の指し手の集合体であり、それは特定の感覚値と1対1対応で結びついたものということができそうだ。あくまで指し手の集合体という抽象的概念であり、この時点で実際に盤面に変化は生じない。
- 以上から、大局観と戦略には変換の前後で対象の不変性が維持されるという特徴があると考えられる。他方、説得は変換の前後で対象のあり方が変わってしまう。
相手の考えと自分の考えに乖離があるときに説得を試みるということは何を意味するか?
- 先ほどの定式化をよく見ると、変換の前後で対象の不変性を維持する変換群については、常に変換後に複数の選択肢を持った状態になる。つまり、事態への対応力が高いということになる。他方、変換の前後で対象の不変性が維持されない変換群については、たとえ変換前にさまざまな可能性があったとしても、その変換自体が常に1箇所への収束を要請するため、具体的な一つのアウトプットに帰結する。それ以上の可能性の芽は消されている。説得するという作業は、この一つのアウトプットへの帰結でなければならないという思想そのものであり、説得を選択している時点で説得に依存しているのである。
- 大局観や戦略的思想を持つということは、説得といういわば「ひとつのアウトプットへ早く収束させて安心したい」という本能のようなものに贖い続けるためのツールなのだ。それが可能性を保持したまま事態を進展させることにつながり、結果的に有利な状況が導かれる可能性を高めることになる。