映画「ノマドランド」が映すアメリカの姿
- 第93回アカデミー賞の発表が日本時間の26日に迫っているが、候補となっている8作品で本名視されていると言われているのがフランシス・マクドーマンド主演、クロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」だ。3月26日より国内でも上映が開始されているため、内容をご存知の方もいるだろう。
- 本作はアメリカ西部でいわゆるホームレス的な生活、または車上生活をしながら季節労働者として日銭を稼いでなんとか日々食い繋いでいる人たちの姿が描かれている。マクドーマンド演じる主人公も、リーマンショック後にそれまで働いていた工場が閉鎖され、町全体も閉鎖されてしまい行く当てを失って車上生活を続けながら米国各地を転々とする生活を送る羽目になっている。物語の中で主人公が出会うノマドワーカーの多くは役者としてではなく、実生活でもノマドワーカーとして生計を立てている人であり、アメリカでノマドライフを送らざるをなくなった人の生活が淡々と語られている。フィクションとドキュメンタリーの間をいくような作りになっていることが本作の大きな特徴なのだろう。
- では実際の米国はどうなっているのだろうか。日経新聞によると、米疾病対策センター(CDC)は3月29日、家賃を支払えない人々に対して住居の立ち退きを猶予する措置を6月30日まで延長すると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、失業などによる家賃の滞納者は米国で約1000万世帯に上るという。
- 「ノマドランド」の内容は決して誇張ではなく、米国における一つの現実を映し出したものと理解した方が良さそうだ。
- では生活に困窮している人は、いつの時点で自分がそうなってしまうと気づくのだろうか?事前にある程度その危険性を認知し、予防措置を講ずることはできるのだろうか?日常生活が繰り返される中で、何か従来と流れが変わった、これは危険だと感じる瞬間はあるのだろうか。
変曲点
- ボールを遠くに投げた時、その軌道は放物線を描く。放物線は一般に二次関数として数学的に把握される。ボールが一度宙高く放り出されたあと、二次曲線を描きながら徐々に高度の「伸び」が緩やかになり、やがて放物線の頂点を境にボールの高度は落ちていくことになる。このボールの軌道は投擲後の水平距離を横軸、高さを縦軸に取った平面上で上に凸の二次関数として表され、接戦の傾きが0になる点がこのボールの最高到達地点、つまりそこが上昇から下降への「変曲点」なのである。
- ボールが描く放物線は、初速度と角度、ボール自体の重さが分かれば運動方程式により算定できる。ボールを投げた後の経過時間と縦、横の位置関係を予測できるのだ。変曲点の位置も予測可能となる。
- ボールを投げるというような物理的な現象の場合はこのように将来を予測することができる。他方、日常生活において生活が今後困窮していくであろうポイントは単純な物理現象とは程遠く、予測することは困難である。
- よく考えてみれば、これは当然とも言える。路上生活者になる直前のイベントは、多くの場合「家賃が払えない」、つまり「月収ー生活費<家賃」という不等式が成立してしまったからというケースが多いと思われる。ではなぜ不等式の向きが変わったのかというと、大抵の場合月収が下がったからということになるだろう。コロナ不況の煽りを受けて派遣の継続が不可となったことや、自分がいる職場ごと廃業になったりと、コロナ禍においてはいつどのような形でそうした事態に見舞われるか分かったものではない。
- ではなぜそのようなコロナ禍で真っ先に切られるような職業に就いたのか、というとそれはそれでそのような選択を本人がしたから、ということになる。いや、本人からすると他に仕事のあてがなく、やむなく誰でも変えが効くような肉体労働者にならざるを得なかったのかもしれない。
- ではなぜその人はそのような不安定な選択肢しか取れないようなサイクルにはまったのか?それは学力の差だったり普段から付き合う人の影響もあるかもしれない。ではなぜそのような学力になったのか?親の教育方針か?このようになぜを繰り返していくと、もはやどこに変曲点があったのか、そもそも変曲点のようなものがある前提で考えていいのかどうかすら分からない。すべて正しいかもしれないし、すべて誤っているかもしれない。
- どうも、生活が困窮する方向に向かう変曲点というものは色々な理由が複合的に重なり合った結果生じるものであり、その理由一つ一つをとってみても発生から長期間経過したあとで原因となるものや、直近の動きとの関係が薄いものなど、それ単体では決め手に欠けるものとなる。
人間の感覚
- ではそのような決め手にかけるようないまいち起伏のなさそうな変曲点のようなものを、人間が持つ危機察知システムで捉えることはできるだろうか?
- 答えは残念ながら否定的だ。「ピーターの法則と老害の関係についての考察」でも述べたように、人間の持つ危機察知システムは外温の急激な変化やライオンやクマに襲われそうになるときなど、かなりの緊急事態を対象に作動するようにできているからだ。つまり、生活が困窮していく方向に変わる流れの変化に人間は自ら気づくことは最初から困難なのである。
- 我々がもし生活困窮者を見て、自分はそうならないと思っていたとしても、このように変曲点を自ら認識することが困難である以上、実はすでにそのような変化の中にいるのかもしれない。