直感とは
- 日常の中で何か大事な決定をしなければならない時や、自分にとって大事な選択を迫られた時、直感で動いた経験はないだろうか。特に深く理由を考えているという感覚はないものの、瞬時に「これだ」と思えるような瞬間ーそれを人は振り返って「あの時は直感で選んだ」と言う。
- 将棋界において史上初の七冠独占、永世七冠達成、国民栄誉賞受賞など、数々の偉業を成し遂げた羽生善治氏の著書「直感力」(PHP研究所,2013)によると、論理的思考の蓄積が思考スピードを速め、直感を導くという記述がある。つまり、何度も何度も論理的思考を繰り返しているうちに、脳の中である一種の回路のようなものが形成され、論理的思考が一瞬で行われるような時に「直感」が舞い降りてくるというようなものなのだろう。
- なぜそれを思いついたのか自分自身でも説明ができないが、決して何もないところからいきなり湧き出てくるものではなく、もがき、学習してきたすべての経験を糧にして無意識の中で行われるものが直感というものなのだ。
- 直感が舞い降りて何十手もの先を見通し、この1手で勝利を確信するような、そういう1手を何度も経験された人からの言葉だから、この場合当然直感は「当たる」ものとして語られている。
- ところが一方で、直感がまるで当てにならない場合もある。「たまたまー日常に潜む「偶然」を科学する」(レナード・ムロディナウ, ダイヤモンド社, 2009)にも紹介されているモンティ・ホール問題をご存知だろうか。
モンティ・ホール問題
- モンティ・ホールは、かつて米国で1963年から1976年まで放送された人気テレビゲーム番組「Let’s make a deal」の司会者だ。同番組ではゲームの競技者が3つのドアの選択権を与えられる。1つのドアの後ろには高級車のマセラッティが、残りのドアの後ろにはヤギがいる。競技者がまず1つのドアを選択したあと、すべてのドアの後ろに何があるかを知っている司会者が、選ばれなかった2つのドアのうち(ヤギがいるほう)の1つを開ける。そして競技者にこのように言う。「開いていないもう1つのドアに選択を変えますか?」と。
- 単純な3択問題ではなく、1つを選択した後に司会者によるこのような選択肢変更の機会が与えられている分、幾分か問題は複雑になる。
- この問題に関して変えたほうが有利かどうか、と言う質問に対して1990年当時の世界最高のIQの持ち主であるマリリンという女性が回答した内容が当時話題になった。この質問にみなさんならどう答えるだろうか。
- 最初に自分が選んだドアか、司会者が1つドアを開けたあとに残ったもう一つのドアか。どちらかのドアの後ろにマセラッティが潜んでいる。要は2つの扉のどちらかに正解があり、その2つの扉から選んでいるわけだから、当然正解する確率は1/2で違いはないはずだ。何を勿体ぶって難しそうな話にしているのだろうか?大半の人はこのような感覚になる。ところが、マリリンは選択を変更した方が良い、と答えたのだ。
- この回答にはさまざまな批判がなされ、最高のIQを持つはずの女性が最も簡単な確率の問題さえも解けないのか、と1000人近い博士たちがマリリンのもとに手紙を送ったらしい。
- 一体なぜマリリンは選択を変えるべき、と回答したのだろうか。この問題は100枚のドアがあるケースを想定してみるとよくわかる。つまり、100枚のドアの中のどれか1つの後ろにマセラッティが潜んでいるというケースだ。この場合、競技者がまず1枚のドアを選んだのち、同じように司会者は残り99枚のドアの中からハズレ以外のドアを意図的に選び、競技者が選ばなかった99枚のドアのうち、98枚のドアを開けてしまう。
- この時、競技者は再び2つの選択肢から選ぶことになっているが、何か違うような気がしないだろうか?確かに結果的には2択になっているものの、自分が選ばなかった99枚のドアのうち98枚が消されて残った1枚は、どうも自分が一番最初に選んだドアが「当たり」である確率よりも高いのではないだろうか?
- その感覚は正しい。この場合、競技者がはじめに選んだ1枚が当たる確率はご承知の通り100分の1である。他方で競技者が選ばなかった99枚のどれかの中に当たりがある確率は100分の99である(注:99枚の中からどれか1枚を選ぶケースであれば当たりが出る確率は1/99になるが、100枚のうち99枚の中のどれかに当たりがある確率は99/100である)。司会者がハズレのドア98枚を開いた後に残された1枚は、この100分の99の確率を1枚に凝縮したようなものなのだ。最初に自分が選んだドアが当たる確率よりも99倍当たりやすい。
- この考え方をドアが3枚のケースに当てはめて考えると、自分が選んだドアが当たりの確率は1/3、司会者が残した方のドアが当たりの確率は2/3となり、当たる確率が2倍になるため選択を変えた方が有利だとするマリリンの回答につながるのだ。数学の専門家でさえ、当時はこの問題を正確に把握することができず、マリリンが誤ったことを述べていると批判する側に回っていた。当初は確率1/3だったのが、司会者がハズレを1枚開いたことで今度は2枚のドアから選ぶのだから確率は1/2に確かに変化するが、だからと言ってどちらのドアも同じ確率で司会者が残したドアを選ぶ理由にはならないだろうと。あまりにもこうした直感が強固なため、ある数学者はいくら論理的な証明を見せても納得せず、コンピューターシミュレーションで何度もこの状況を繰り返し、結果がきちんと2倍になっていることを見せられてようやく納得したという。
- この事例は、いかに人間の直感が頼りないものかがよくわかる事例だろう。
直感と論理の関係
- 最後にポーカーの例で直感と論理との関係について考えてみよう。ポーカーでは、ある役が出現する確率はあらかじめカードの組み合わせが決まっているので、事前に計算可能である。例えばロイヤルストレートフラッシュが出る確率は、52枚一組のトランプカードから5枚の組み合わせを選ぶ場合の全組み合わせの数である2,598,960通りから、ロイヤルストレートフラッシュとなる組み合わせの4通りが出る確率であるから、4÷2,598,960=0.00015%である。そう考えるとポーカーは単なる確率の問題であり、誰がプレイしても変わらないのではないかと思うかもしれないが、実際はそうではない。相手の役の読みや自分が勝負するか降りるかなどといった複雑な心理戦があるため、一概に確率だけで勝敗が決まるわけではない。
- ポーカーを確率論の枠組みで捉えようとすればするほど、あとは駆け引きの世界となり、駆け引きを極めようとすればするほど、確率論の話に依存するようになる。ポーカーは駆け引きのゲームだ、という認識が一般的には広まっていると思うが、では全て駆け引きなのか、どこからが駆け引きでどこからが確率論なのかを正確に語れる人は一般的に少ないだろう。駆け引きが重要となる境界線を正確に認識するためには、逆説的だが確率論を正確に意識できるようにならなければならない。それができた時に、確率論でない部分が明確な輪郭をもって現れる。
- 直感と論理は一見相反するものであり、ある現象を説明するにはどちらかの影響1つで語られることが多い中、羽生氏が直感を論理的思考の積み重ねの上に現れるものだいう両者の境界線を明確に把握した定義をしているのは、同氏が超一流のプレーヤーであることの証左なのだろう。