ピーターの法則
- 以前に老害についての考察をしたが、今日はその続編というか、追加検討版としてアップロードする。
- ピーターの法則をご存知だろうか。人は無能になるまで昇進し続けるというものだ。有能な平社員はやがて昇進し、自分の能力の限界まで昇進した結果、最後は無能な中間管理職となる。また、無能な平社員は無能な平社員のままとなる。そのため、会社内の各階層は無能な人間で埋め尽くされるというものだ。
- 誰が職務を遂行してるのか?という疑問が出てくるが、それは簡単で、まだ出世していないその階層の有能な人材が実際にはその職務に求められる役割をこなしている。
老害のスタートはいつからなのか?
- ピーターの法則を前提にしてみると、老害のスタート地点がどこなのか、ということが垣間見得てこないだろうか?
- 無能になるまで昇進した、その無能となった時に老害への道が始まるのではないだろうか?
- 基本的に昇格は不可逆変化だから、無能であってもその職位は維持される。本人は自分の無能を目の当たりにするわけだから、そこから発生する認知不協和状態に長期間置かれることになる。
- 認知不協和とは、アメリカの心理学者、レオン・フェスティンガーによって提唱された社会秩序維持のメカニズムに関する理論である。社会が要請する何らかの規範(「タバコは体に悪いからやめるべき」など)と、それに合致していない自分の行動(自分はタバコをやめられない)とが認知された時、行動に合うように規範に対する自分の態度を変容させる(肺がんで死ぬより交通事故で死ぬ確率の方が高いんだから、喫煙を続けても問題ない)というものだ。これは同じような不協和を持つ人が集まった場合により起こりやすい。つまり「タバコを吸っていても大丈夫なのだ」と信じる集団の中にいれば、不協和は解消されやすい。認知不協和が集団の社会秩序を維持するメカニズムと言われるのは、こうした理由からである。
- 自分は無能であるにもかかわらず、職位はそれに相応しくない位置に置かれ続けることの矛盾をどう自分の中で解消するか。おそらくはもっともらしい理由をつけてその地位にいることを正当化することになる。実は意外にこのポジションでできているのかもしれない、上席者が自分を気に入らないから自分を使わないだけだ、他の部署の同ポジションのメンツを見ても自分と対して変わらないではないか、、などなど、色々と正当化はできてしまう。自分の周りも同じように無能に達した人ばかりであれば、集団で同じことを囁き合っていることになり、認知不協和状態は解消されやすくなる。
- そのような理由は自分の中だけで成り立つものだから、周りの見方とは当然ながらズレていくことになる。そのことに気がつかず、やがて理由づけに無理があるのではないかと疑う気持ちも忘れ、そしていつの間にか自分が無能であることはすっかり忘れてしまい、悩んでいたことはすっかりと頭の隅に追いやられてしまう。茹でガエルの完成である。そういう長いプロセスを経て、人はダウンローディングな対応しかできなくなっていくのではないだろうか。
認知不協和に陥らないために
- 認知不協和が老害のスタートボタンになっているのであれば、そうならないようにするにはどうすれば良いのだろうか?
- 一つは、学習を継続し続けることなのだろう。人間の脳は同じ刺激には反応しなくなる。学習も同じで、同じような環境下で同じようなことを繰り返すのみであれば刺激もなくなりいずれストップしてしまう。そうならないために、新しい分野を学習し続けることが重要なのではないだろうか。
分断思考との関係
- もう一つ考えてみよう。分断思考との関係である。老害になりたくない、自分はそうならないんだ、と思えば思うほど目の前の老害かもしれない人に対して「あちら側の人」としての対応をとってしまうだろう。これは分断思考と言えるのではないだろうか?この人は自分とは全然違う人だ、自分はこうなりたくないと。
- 誰かに対して、「これは老害だ」と感じた時、その人はきっと何年も昔に上記のプロセスによって抜け出られなくなったまま、長い年月を経て今自分の目の前に現れているのかもしれない。
- その人だって、若い頃は自分が老害になるなんて思ってなかったはずだ。むしろ、誰かに対して老害だと感じる側だったはずだ。
- この違いは何なのか?これが、老害について考える最大の理由である。何が起こってそうなっているのかが理解できれば、その人と自分との間にある大きな溝は、実は見かけだけの溝で案外飛び越えられるものかもしれない。