こんにちは。今日は組織の年輪について話をしてみようと思います。
先日、とあるクライアントと1週間後に予定されている打ち合わせのためのアジェンダの内容確認を行なっていた時のことです。
相手はクライアントの総務部長で、私とのやりとり全般の窓口になっていただいていた方です。私はそのクライアントと月に1度、経営課題について役員層を集めて解決策の方向性出しのディスカッションを行っていました。
今回も同様に1週間後に備えて会議のアジェンダをその総務部長に送付したところ、修正依頼が来ました。
その修正依頼の内容は、「採用戦略の見直しに当たって転職エージェントをより積極的に利用していく」という文章の「利用」を、「利用を検討する」に変更して欲しいというような内容でした。
変更を依頼した趣旨としては、役員達(その総務部長は執行役員であり、役員ではありません)が「(コストのかかる)エージェントの利用を(役員の承認なしに)勝手に総務部が進めようとしている」というような雰囲気が出るのを避けたいというものでした。
私は一瞬、細かい内容だなあとは思ったのですが言われた通りに修正しました。
しかし、そもそもどうしてその総務部長はそんな細かいことを気にしなければいけなかったのでしょうか?
もちろん、過去にそういうやりとりがあったからでしょう。その総務部長は、そのクライアントの中ではいわゆる創業者の一族以外の人で、創業者一族が支配する取締役一勢からすると完全に「外様」でした。
「外様が何を勝手にコストをかけてエージェントを使って採用を進めようとしているんだ、もっとお金をかけない努力をしろ!俺たちはこんなにコストを削減しているんだぞ!」とでも言われるのを先に察知したかのようです。
創業者一族とそれ以外の上席者の間に大きな壁があるというのはオーナー企業には良くあることです。特に珍しいことではありません。
人は群れを作るとその中で細かな差異を強調したがる生き物です。自分と他人の違いを必要以上に大きく見てしまう。そういう現象は、別にオーナー企業の中のみならず、広く日本社会のいろんな集団で見受けられることです。だから、ちょっと威張っているような感じに見えるそのクライアントの役員さん達も悪いわけではないのです。
ただ、その総務部長の修正依頼という何気ないやり取りの中に、そのクライアント特有の、過去から繰り返し起こってきた権力の誇示とそれを受け入れるしか道がなかった(受け入れることによって自らの立場を守ってきた)人との長い、長い、そしていつの間にかその関係が硬直してしまって麻痺してしまっているというような状態にまでなっている、人間関係の年輪のようなものが垣間見えたような気がしたのでした。
もちろん、修正依頼を受け入れるにあたって「いやいや、別にエージェントに頼むだけだと成功報酬なので無料ですよ、いいじゃないですか」という正論は言いませんでしたけどね。